オーストラリアのアデレードでおこなわれた米女子プロツアーの「ISPSハンダ女子オーストラリア・オープン」(2月19-21日、グレンジGC、パー72)は日本の野村敏京(のむら・はるきょう、23歳)が優勝した。最終日の21日、首位タイでスタートした野村は8バーディー、1ボギーの7アンダー65、通算16アンダーでツアー初優勝をあげた。日本選手の優勝は2012年夏の「セーフウエークラシック」の宮里美香以来、4シーズンぶり、日本人としては9人目のツアー優勝者となった。
世界ランキング1位のリディア・コ(ニュージーランド)の絶対有利の状況をひっくり返しての、驚きの優勝だった。9番15メートルの長いパットを入れて逆転、終盤は15番から3連続バーディーとし2位のコに3打差、3位の地元、カリー・ウエブには7打差の圧勝だった。見事だった。
アマ時代からパワーには定評。今回はパットが好調だった。9番の15メートルをはじめロングパットが3回、カップを割った。勝負どころのミドルパットも決まっていた。「これまで考えすぎていたのを今季は素振りもしないで打つなどルーティンを変えた。シンプルに打つことができて好結果につながった」。26パットはこれからもそうない内容だ。166センチ、59キロ。柔軟でしっかりした体躯からの安定したショットはアマ時代から将来を期待されたが、ついに軌道に乗った。
神奈川・横浜生まれの23歳。日本人の父と韓国人の母、プロゴルファーの兄,京平さんの4人家族。子供の時にゴルフをはじめ韓国育ちでソウルの明知高校時代は日本ジュニア、日本アマに韓国から遠征する競技生活だった。石川遼、松山英樹とは同学年。日韓を往復する競技生活の中でゴルフを磨く異例の生い立ちだ。
日本語があまり得意でなかったため日本では目立たなかった。ジュニア育成、プロの強化に定評のある韓国と男女のツアーを持つ日本を経験する特殊な環境の中で育ったことはプラスだったといえそうだ。今回の快挙は日韓ゴルフ界が一緒に作り上げた史上初の収穫だ。2010年プロ入り。アメリカに行くか、日本ツアーか、と迷ったとき、父の国・日本を選んだ。国籍を日本と決め、日本のライセンスを取り、この日の優勝につながった。
ゴルフの世界はもはや”垣根”がなくなったといわれる。日本にもそうした流れを強く印象づけたアジアの生んだ野村の優勝である。歴史的快挙となった。