松山英樹の19年シーズンは土壇場の踏ん張りで世界一のチャンスが巡ってきた 武藤一彦のコラム


 米男子ツアーのプレーオフ第2戦「BMW選手権」は18日、イリノイ州のメダイナCCで最終ラウンドを行い10打差9位からスタートの松山は、10バーディー、1ボギーの63、通算19アンダーで3位に食い込み、次週のツアー最終戦「ツアー選手権」(イーストレイクGC)優勝に向け大きく躍進した。
 今大会、第2ラウンドでコースレコードの63をマークしトップに立った松山だったが、第3日に首位のジャスティン・トーマスから10打と大きく後退。しかし、この日、またも63のベストスコアをマークし、3位に挽回、堂々と“バウンスバック”した。優勝は17年全米プロで死闘を演じ、惜敗した好敵手、トーマス(米)。年間ポイントの上位30人だけで争う最終戦は年間王者のタイトルとほかにボーナスの1500万ドル(160億円)。勝てば悲願の世界一の称号が手に入る。

 

 1番、グリーン手前エッジから15ヤードをピッチエンドラン、6番、485ヤードの最長パー4は、バンカーショットを直接カップインのバーディーが光った。グリーン周りの魔術師と化した松山のアプローチの冴えは見事だった。後半は2日目に“開眼”したパットだ。8,9メートルが面白いように決まった。16番で唯一の3パットボギーがあったが、ロングの2オンからのバーディーや1メートルに付けるバーディーも随所にみせ一気に順位を上げた。
 イリノイ州の名門メダイナCCの65のコースレコードを2日目に2打更新する63。しかし、その松山が3日目には10打も多い73というのだからゴルフはわからない。さらに同じ日、トーマスが61をマーク、松山の記録を2打も更新するコースレコード。実に1日で12打差がついた。世界のレベルはもう何が起こるかわからない、怖い世界というしかない。

 

 実は・・・。怖いといえばもっと怖いのが最終戦だ。年間ポイント制である。今季開幕から今大会までの成績によってついた年間ポイントは今大会終了時点、首位トーマスを筆頭に2位カントレー、3位ケプカ、4位リード、5位マキロイ、そして松山は15位。最終戦では出場30人にはこの順位に従いハンデが与えられ首位トーマスには10アンダー、2位カントレー8アンダー、3位7アンダー、以下、11位から15位までの松山ら4人には3アンダー、26位以下から30位まではハンデ0、と順位に応じてアンダーハンデを与えている。つまり、最終戦では首位のトーマスは10アンダーで最終戦をスタートし松山は3アンダー。従って2人の間にはスタート前から7打差がつくのである。ツアー選手権はこれまでスリリングな試合形式を模索してきたが、今季高額賞金を期に直前までの年間ポイントを重視した。年間を通じて常時、頑張り、さらに最終シリーズを盛り上げたものにいい思いを、という狙いだったのである。

 

 これで分かった。松山が第3ラウンドで前日より10打も悪いスコアをたたきながら「明日(最終日)は2日目に出した63を出すように頑張ってみる。1度やれたことはできないわけがない」といったのである。
 そして、この日、“公約通り”に63を出した。攻めのゴルフの極限が引き出されなければこんな展開にはならないだろうと理解するのである。
 ゴルフは変わったのだ。いや、変わろうとしている、といった方がいいのだろうか。1打の重みというが、今や5打、いや10打が1日置くだけでめまぐるしく動く。そういえば女子の世界。全英女子オープンでは、20歳の世界的には全く無名の渋野日向子が堂々と勝った。プロ1年目、国内2勝の新人が、大舞台でベテラン選手のようなしたたかさを見せる世界なのだ。
 「ハンデがあるので追いつくのは難しいと思うけど頑張るしかない。何があるかわからない」と松山は受け止めている。いや、本当に、何が起こるかわからない、と今、思い始めている。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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